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5年前、2011年3月11日。あの日、ワタシはプロデューサーに呼び出されて電車に乗っていました。遅れていたアルバム制作に関して、なんて言い訳しようかと頭をめぐらせながら。その電車の中で地震を経験しました。電車は高架の上にいたのでめちゃくちゃ揺れました。高架から電車が落ちたら死ぬな、と覚悟しました。
ミーティングはもちろんお流れになり、その近くに住んでいた友人の家にしばらくいさせてもらい、そこで港町のなかを船が家々を壊しながら流されていくショッキングな映像を震えながら見ました。
それからは混乱の日々でした。もちろん被災地では極限状態の日々でした。
私が住んでいる街はそれほどの被害がなかったもののやはり混乱していました。近所のスーパーは入店者数制限をし、ガソリンスタンドに並ぶ車の長蛇の列で道はいつも渋滞。テレビからは福島の原発について錯綜した情報が滝のように溢れ、子供を外で遊ばせていいのか、どこの家庭でも親たちはみな判断に苦しんでいました。
そんなとき、トイレットペーパーを山のようにドラッグストアで買い込む女性を見て、ワタシは声をかけたくなりました。
「あなたがそのトイレットペーパーを全部使い切るもっと前に、とっくに物流は回復しています。そんなに買い込むと本当に必要な人の手にはいりません。あなたの家でトイレットペーパーが本当に足りなければ、うちのを分けてあげましょう。」
でも言えなかった。勇気がなかったのです。
小さな手をさしのべるには大きな勇気が必要なことを知りました。
こんなちっぽけなことしたって、何ほどの役にも立たないかも。かえって迷惑かも。
でも、今はちっぽけなことでもやるべきなんじゃないか。
小さなヘルプを気軽に差し出したり受けとったりできる風通しのよい社会は、まず自分が行動することで構築するべきじゃないか。
不安だから大量のトイレットペーパーを抱えて歩いてたあの女性に、自分ちのトイレットペーパーをはい!って笑顔で差し出すことが簡単にできるような暖かなコミュニティーを、まず自分から作ろうとするべきじゃないか。
それから一週間のうちにワタシはレコーディングを再開していました。まず「笑ってて」をチャリティー配信することにしました。それにおいては流通会社に大変な尽力をしていただきました。ここで感謝します。
そしていろんな人たちの助力を借りて隔月で「種からつなげよう」のチャリティーライブを始めました。
決めたのはこんなこと。
@避難所では歌わない。ここで、東京で歌ってお金を集めるんだ。
@そのお金は赤十字や自治体などには送らず、Hand To Handで種ともこが自分で探した募金先に直接渡す。
@チャージはできるだけ安く設定し、その分お客さんには募金をしていただくようにする。終演後種ともこは急いで着替え、出口に募金箱を持って立つ。
@趣旨をより広く分かってもらうため、ライブはUstreamで配信する。ただしアーカイブは残さない。
@「笑ってて」は必ず歌う。
会場を提供していただいたStrobe Cafeさんには本当に感謝しています。連絡係をしてくれたスタッフにも。
趣旨にご理解いただき出演してくれた対バンのアーティストの方々、同じく素晴らしい演奏でサポートしてくれたミュージシャンの方々にもお礼を言います。
そしてそして。会場に足を運び募金していただいたお客さんには本当に感謝しています。
当初、Ustream配信すると、じゃあ、タダでPCで見ればいいやと思われて客足が落ちるかも、という意見もありました。でも、実際は逆でした。ユーストで見て楽しそうだから、と会場に足を運ぶお客さんが増えたのです。震災から年月がたつほど記憶も風化し、チャリティーに興味をもたれなくなるのでは、という不安もありましたが、実際には続けるほどに動員が増え、Sold outが続くようになり、どうしても行きたいんだけど、と連絡くださるお客さんのためになんとかできないかとスタッフとお店で工夫してくれました。そしてそれにつれ、また募金額も増えていったのです。本当にありがたい思いでいっぱいでした。
2年くらい、をめどに始めた「種から」は結果的には5年間、30回ライブを重ね、この度ベストテイクを集めたアルバムをリリースすることになりました。
収録とミックスをやってくれた松本大英くんのグッジョブの輝きがあちこちに光ってます。大英くんにも深くお礼を言います。
ワタシは二月に一度、誰かと一緒にストロボのステージで歌うことを楽しみにしつつ、5年間を過ごすことができました。そのときそのときの季節に応じていろんな歌をリアレンジしたりする作業は大きな喜びでした。「おぼろ月夜」や「流星群」はこのアルバムでしか聴けないバージョンになってます。また、募金先の選定を通して、多くの方々にお手伝いをいただきました。こんなことがなければ一生行かなかったであろう大槌や石巻や相馬に友人ができました。
手を差し出すことでたくさんの助けをいただいた5年間でした。
実はライブアルバム出すのはデビュー以来30年にして初めてです。ライブは生の一期一会のものだから、そんなの残したくない。そういう思いがありました。
ですが、これは5年間の軌跡として、形にしたかった。
ていうか、種ともこがオリジナルだけじゃなく、いろんなスキな歌をスキに歌ってる、その歌いっぷりをシンプルに楽しんでいただければ、それがいちばん!と思っています。