リアルタイムに気持ちを綴っていくのが最近は好きになってきたので、このブログは少しお休みします。長きにわたり読んでいただいた方々に感謝します。これからはワタシと以下でつながっていただけるとうれしいです。
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新年雑感
みなさま
旧年中はホントにお世話になりました。
そして。
どうか、今年もよろしくお願いいたします。
今、静かな気持ちで、去年一年を少しふり返ってみますね。
その前の年から始めていた新しいアルバムのための曲書きの続きと、「BATON」に収録する楽曲の選定から一月はスタートしました。
新しいアルバムは今までとは違った形になる予感がありました。だんだん作品にその方向性が見えてきて、ほとばしり感に突き動かされていくように、もっと高く、もっと深い曲!!と思いながら書いてゆきました。菅原プロデューサーのアレンジも、今までにないような新しい形にあがっていて、本当に一歩一歩、ワタシ達チャレンジをしているんだ、と気合いが入る思いでした。
それと併行して前年の様々な30周年記念スペシャルライブ音源を聴き直して、ライブ盤用収録曲の選曲とか曲順とか、それこそ毎日毎日、ああでもない、こうでもない、と曲順を変えては聴き、選曲を変えては聴き、を一ヶ月以上繰り返しました。もうこれ以上ベストな選曲と、曲順はない!と言いきれるまで。
それを素晴らしいミックスで形にしてくれた松本大英君に感謝します。長きにわたって、ワタシの音楽を創る上でなくてはならない同志でした。そして、これが彼のエンジニアとしての最後の作品となりました。今、彼はぶどう農家として、次のページで新たなチャレンジをしています。
このミックスの翌日から、ひょんなきっかけで、生まれて初めて奄美を旅しました。初めての場所なのに、何か初めてとは思えない、不思議な懐かしさを感じる島でした。ここで出会った方々に感謝したいと思います。
帰ったらレコーディングが始まりました。いつも感じるのですが、スタジオはワタシのココロの故郷です。思えばデビュー以来ずっと、素晴らしいミュージシャン達とがっつり音楽に向き合う、というラッキーにワタシはいつもいつも恵まれてきました。そのことをここで感謝します。
今回、初参加のエンジニア、樫本大輔君が、すごく頑張ってくれました。そして、今回もタグを組んでくれた共同プロデューサー、菅原弘明氏、参加してくれた全てのミュージシャンとエンジニアにもう一度お礼を言いたいです。彼らのおかげで、31年目の次のページに行けた。
ジャケット写真の撮影は、こんなに楽しくていいの?ってくらい楽しかった。ビジュアル制作担当のみんな、ありがとう!そして、それら全てを可能にしたチーム種ともこのみんな、ありがとう!
そのあとは「BATON」リリースに向け最終的文字校正。エッセイはだいぶ前から書きはじめていたのですが、やっぱりいろいろ修正したくなったり。また、三十年活動してると思いの外いろんなことがあって、記憶違いやら忘却してたりで、年譜とインタビューの校正がけっこうたいへんでした。一部のファンの方々に大きく助けていただきました。ありがとうございます。
校正に地獄の粘りと執念を見せてくれたスタッフ高岡氏と、この本をとても素晴らしいものにしてくれた外間隆史氏に感謝します。細部に神が宿る、とはこういうことか。感動しました。最初の打ち合わせの時には、まさかこんな分厚い大作になるとは予想もしてませんでした。
夏は恩師、河合マイケルさんと初のガチンコ対決ライブ、そしてそのあと、「種からつなげよう」で出会った人たちを再訪するために東北を旅しました(ブログにも書かせていただきました)。この旅からも多くをココロにいただきました。この旅で出会った全ての方々にもう一度感謝します。
秋からはここまではツアー、リリース、そしてそれに向けてのプロモーション。
アルバムを手にとっていただいた方々にお礼を言わせてください。ありがとうございます。気に入っていただけたでしょうか?だといいな。
それから、バンドツアーにお越しいただいた皆様、ありがとうございます。バンドはすごく進化してきていると思ってます。けど、大阪はトラブルでスタートが大幅に遅れ、ホントに申し訳なかったです!ごめんなさい。
去年の新年雑感で目標としたことは実現できたんじゃないかなと思います。
アルバムを最高の形にすることと、美味しい料理を作ること。どっちも達成できたと思ってる。去年はぬか漬け研究の年でもありました。
そして。去年はもう一つ、ピアノ、ギターの個人練習を頑張りました(自社比)。まだまだ技術が及ばないところは山ほどあるのですが、少しずつ、これらの成果を今年の、これからの弾き語りツアーに活かせていければ、と思ってるところです。楽器ってホントに奥が深い。
ワタシにとって今年はどんな年になるのかな。
どきどきわくわくなのです。いろんなことが変化していく一年になると思います。
さらに新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。人生いつも一年生だから。
今年はあえて目標を設定しません。ココロのむく方へ歩いて行く。そういう年なんだという予感があります。
みなさまにとって今年はどんな年になるのかな。
人生色々だけど、できるだけたくさん笑顔がある年になるといいな。ココロよりそう祈っております。
そして、みなさまのココロのど真ん中にワタシの音楽が伝わりますように!
今年もどうかよろしくお願いいたします。
種ともこの日々、ツイッターやFBなどでご覧になっていただければ幸いです。
写真は千両。豪華な花束でなくても、こうやって食卓にただ飾るだけで、新たな年って気持ちになります。
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あと少しでリリースです。
rolling
恋愛三部作を作って、デビュー30周年メモリアルイヤーがあって、で、今ワタシ何を思うの?
というところからスタートしました。
で、発見したの。
ワタシのココロの中に昔から棲んでいる「少女A」がいて、それが時々、「オトナなんてみんなバーカ!」と歌を歌うのです。もう十分すぎるくらい年をくってるワタシも「そーだそーだ!バーカ!」と一緒になって歌うのです。
今回のアルバムはそんな気持ちで作りました。
菅原プロデューサーは、ワタシのココロの中にあるロックの火に油をがんがん注いでくれました。その炎に照らされながらどんどん曲を書くことができました。ワタシたちは今、新しいものを作っている。作業しながらいつもそう感じていました。彼の素晴らしい仕事に感謝したいと思います。
そしてその火をもっと強くしたり、明るくしたりしてくれたミュージシャン達、エンジニア達にも感謝したいと思います。
rolling
新しいページに駆けてゆきたい。高いところまで飛んでゆきたい。
小さい頃、オトナになったらそんなことがしたいと願ってました。
それを、今、このアルバムでできたと思ってます。
ココロを開け放ちたいと思ってる全ての人に聴いていただけたら。
ココロのど真ん中に届けたい。
アルバム発売に合わせ、ツアーもやります。二回に分けて。
まずはバンドツアー。
こちらは大阪、名古屋、東京。詳細はこちらを。http://www.tomokotane.com/info/
そして年明けて春になったら弾き語りツアーで全国廻ります。
どうか、多くの方々にお目にかかれますように。
]]>最終回の募金先を探しつつ、今まで募金してきた方々を訪ねる旅に出ました。電話やメールでのやり取りだけ、という方々もいたので、ぜひお顔を拝見してお話がしたかったのです。
まずは相馬。障がい者就労支援センター「もくもく」です。エアコン購入のヘルプをさせていただきました。
「あっついから。毎日使ってますよ。」
と言っていただき、ホントにうれしかったです。ちょこっと歌も歌わせていただきました。みんなの笑顔、ステキすぎました。
「原発、一度は見た方がいいですよ」と言われ、国道6号線を車で連れて行っていただきました。停車禁止。窓開け禁止。車の外に出るの厳禁。右手にフクイチの建物見えました。テレビでは見たことあったけど、実際身を置いてみるとこの空気感は、、、。ホントにまだ何も終わってない、、、。ゴーストタウンとなった国道6号線沿いを走りました。浪江では避難措置解除になりましたが、今までの長きにわたり手をつけられず、放置されたままの半壊家屋など、街のあちらこちらにありました。〔写真は放射能汚染物質を詰めた黒い袋。延々とこれが風景に積み重なってます。)
続いて石巻日日こども新聞。こちらはイギリスのケンブリッジで行われたイベントにこども記者達が参加し、その渡航費の一部に使用していただきました。
その模様を動画や写真で見せていただきました。頑張って英語でスピーチしてる子供達すてき。この体験はきっと未来に役立つはず。震災で多くの建物がなくなった街に住む彼らは、昔からの建物がいっぱい残っているイギリスにとても惹かれたとのことでした。
陸前高田では脳性麻痺だけど素晴らしい絵を描いている田崎飛鳥さんに会いにゆきました。絵の色調が鮮やかでエネルギーに溢れているのです。震災でそれまで描いていた絵を全部失い、そのショックで一時は絵が描けなくなったそうですが、ほどなく立ち直り、今も素晴らしい作品を生み出してらっしゃいます。彼のお母さんはパン屋をやってらっしゃって、そのパン屋と彼のアトリエをつなぐ回廊に募金を使っていただきました。
この日の夜は廃校をボランティア宿泊所に改装したところに泊まりました。他に泊まり客がほとんどいず、二階はほぼ貸し切り状態。「学校の怪談」とか「20世紀少年」の場面とか思い出しながら、布団にもぐり込んでました、、、、。でも、このアイディアはステキだな!ボランティアでなくても泊まれます。
それから大槌。エコたわしでお世話になってます。電気のつかない避難所で、ただじっと座ってるだけではつらいから、とアクリル毛糸で作り始めたエコたわし。海に生活を奪われたみなさんが、海を汚さないエコたわしを作っている。ここに感動してサポートをさせていただきました。みなさま、やっと全員仮設から引っ越しできるめどがつきました。なので、これをもって大槌エコたわしは解散します。みなさま、今までありがとうございました!とはいえ、まだ在庫があるのでそれはなくなるまで売ります。これから新しい生活を始める編み手のみなさまにもめちゃ必要な支援なのでどうか買ってください!
岩盤浴のお店、ゴロリンの店長さんにもお話を伺いました。プロパンガスも手がけてらっしゃるので、震災当時はそれはもう、何が何だかわからないくらい忙しかったそうです。ライフラインですものね。そしてそのうえに、ずっと街の人たちがのんびり、ゆったり過ごせる空間を作ってらっしゃいます。お人柄がそのままお店に表れていて、優しい空間です。今度ワタシも岩盤浴やってみたい!
それから釜石へ行き、最終回の募金先との打ち合わせ。きちんと決まったらまたHPでご報告しますね。
次の朝は大槌夢ハウスを訪ねました。ここに募金したお金でかき氷メイカーなどを購入していただきました。
「今、暑いから活躍してますよ!」
と言っていただきまたもや、うれしくなりました。以前の場所から移転して、すごく広くなりました。
「かくれんぼすると探しきれない!死角がありすぎて!」
とスタッフの方、仰って笑ってました。また経営母体も 社会福祉法人から大槌の父兄に移りました。
「もう、自分たちで切り盛りしていく時期に来てるんです。」
ああ、少しずつ、次のページに進んでるんだなあ。
それから「赤浜の復興を考える会」の会長、川口博美さんに再会しました。14メートルの防潮堤はもし決壊したら巨大なコンクリートの凶器になって襲いかかる。防潮堤に頼らず、みんな高台に引っ越すんだ、と住民のみなさまと話し合い、ここだけ、防潮堤は以前の高さのままにすることになりました。こちらではこの会合での暖房費や事務費用を募金から使用していただきました。彼も仮設から引っ越すめどが立ちました。ひょっこりひょうたん島が見下ろせる高台。
「海がどーんと見渡せるんだ。」
そう言って笑う彼の笑顔を見て涙が出そうになりました。海に最愛の家族をふたりも奪われた彼が海のよく見える場所に家を建てることを楽しみにしている。
どの人とお話ししても、そこには勇気のストーリーがありました。そのストーリーの中にワタシがわずかでも参加できたことに心から感謝したいです。
そしてそれを可能としたのは、ライブで募金していただいた皆さまの力です。もう一度言わせてください。本当にありがとうございました。
まだまだ盛り土が果てしなく広がっている大槌も、繁華街のメインストリートの道が一部よみがえり、わずかですが店舗も戻ってきました。
少しずつ,次へ。
東京では震災はもう終わった事項と考えられがちですが、現場を歩くと、まだ、なのです。
でも、何度か行きましたが、今回は初めて復興、を強く感じ取れる気がします。
「あんときは必死で、助けてもらってもお礼も満足に言える余裕がなかった。今度会ったらそのときはきちんとお礼を言いたいなあと思う人たちがいっぱいいます。でも、なかなか、今、ここに再び訪ねてくれる人はそう多くはないんです。だから、こうやってまた来てくれるとうれしいんです。」
という言葉が印象的でした。ありがたかったです。
地縁があるわけでもなく、出身地でもない、何も知らないよそ者のワタシを受け入れてくれて、さしだした手を温かく握り返してくれた人たちに、心より感謝します。
そして、東北の自然。本当に美しい。ほれぼれとするような山や海。運転しながら夢見ているような気持ちになる瞬間がたくさんありました。
これからも訪ねたいと思ってます。勇気のストーリーの続編を読みたいから。
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やや遅いですが、あけましておめでとうございます。
昨年はお世話になりました。
今年もどうかよろしくお願いします。
ブログ、全然書いてなくて、30周年記念アルバム”Daily Bread”の告知すらもしてなくて。多忙を言い訳にしちゃいけませんが。
去年は30周年アニバーサリーイヤーで、あれこれといろんな企画をしました。2枚組を2作リリースしました。スペシャルライブもいくつかしました。弾き語りツアーも相変わらず全国駆け回り、バンドライブでは踊りまくりました。スペシャルサイトを立ち上げ、ロングインタビューを掲載しました〔現在も続行中)。昔出版した書籍の電子書籍化もしました。トークショー&種ともこグッズ展覧会も何度かやりました。
文字通りダッシュで駆け抜けた一年でした。
慌ただしくもあり、喜びも多い一年でした。
30周年アニバーサリーを共に体験してくれたすべての方々に感謝します。
ポカの多いワタシですから、あれこれ取りこぼしつつ、スタッフのみんなにこぼれ球拾ってもらいながら駆けてきました。チーム種のスタッフのみんなにここで今一度感謝したいと思います。
ビジュアル関係を引き受けてくれた外間氏、サウンド面のプロデュースをお願いした菅原氏にも、何度かハードな日々を送らせてしまいました。この場を借りて感謝したいと思います。
去年一年を駆け足で振り返ってみます。
その前年の秋に父が死に、さまざまな事務的な処理から一年が始まりました。父が死んだことで多くのことが変化しました。実家を取り壊すことになり、そこにあったアップライトピアノをうちに引き取りました。長い長い間、手元に置きたかったピアノ。それがついに我が家にやってきました。
また、実家を整理したら両親がワタシの過去資料〔ラジオ出演の収録されたカセットテープ、ポスター、雑誌のインタビュー記事の切り抜き等)をたくさん保管しておいてくれたことも判明しました。これらがあったからこそトークショーが可能になりました。ワタシ、なんでも捨てちゃうからね。
悲しいこともありました。
年初からリスペクトするミュージシャンが幾人か亡くなりました。
デビッド・ボウイ、キース・エマーソン、、プリンス、ジョージ・マイケル、レオン・ラッセル、富田勲、、、、(敬略称)。みな、ワタシの音楽の形成に力を貸してくれた方々です。
友人だった吉川みきちゃんが亡くなりました。村田和人さんを追うように。お見舞いに行って少ししてからでした。お葬式は彼女のお誕生日でした。
同じくデビュー30周年だった盟友、吉良知彦くんが亡くなりました。彼が死んだことはワタシの心にとても大きなくさびを打ち込みました。ある意味、お互い少し似ていると感じていました。彼にはたまーに弱音を吐いたり、そんな話したっけと強がったりしました。大切なライバルを失ってしまったと感じました。亡くなったと聞いた次の日、ライブに向かう新幹線のなかで断続的に泣いていたこと、そのライブで「遠い音楽」を必死の思いで泣かずに歌ったこと、忘れられません。
心に岐路を感じた年でもありました。
自分はどんなふうに生きていくのか?
生きている間に何をしなくてはいけないのか?
自分にとって本当に大切なものはなんなのか?
自分が差し出せるものはなんなのか?
で、自分の葬儀費用の頭金を払いました。エンディングノートを書きました。
そのうえで、それはもう必死で曲を書きました。いつ死んでも後悔しないように。今の想いを歌わずにいられなかった。曲を書くことでしか自分のココロを保てなかった。30年のその先へ。次のページを自分は開いていました。あと何ページあるのか分からないけど、次のページを。
その次のページにどんな風景が見えるのか。眺めたかった。
今、うっすらと浮かび上がろうとするその風景に全力で色づけ作業を始めようとしているところです。
コドモたちも大きくなり、ひとり暮らしを初めた娘は一気にオトナになり、高校生の息子は手探りで未来を探しています。巣立ちはもうすぐ。彼らも次のページを開きつつあるのです。
実は、ですね。30周年アニバーサリーイヤーは終わりましたが、企画したことすべてを遂行することができませんでした。おもにワタシの段取りの悪さです。
なんで、今年も30周年企画、続行します!時空が歪みますが、今年も30周年アニバーサリーなのです。あれこれと準備しつつあります。
そして、次のページの先にある新しいアルバム。これも必ずリリースします。
楽しみにしててね。
少しゆっくりしたら、という意見もスタッフから出ました。でも、今は走れるうちに走りたいの。
いつも元旦におせち食べるとき、家族で今年の抱負を話すことにしています。
ワタシの今年の抱負は二つ。
1)新しいアルバムを最高のものにする
2)美味しい料理を作る
1)は、プロですから当然と言えば当然。でも、今回いろんなチャレンジがあるの。それがとても新鮮で、どきどきなの。
2)は去年の反省。仕事がたてこんでくると「悪い、コンビニでカップラーメン買ってきて!」が時々ありました。それはいかん、やはり。家族で食卓囲むのもそんなにもう長いことではないかもしれません。丁寧な仕事するにも丁寧に作ったご飯は大事なはず。
忘れるのが大得意のワタシ。でも、ここに書いておけば大丈夫。
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写真はいつものお雑煮。お餅、蒲鉾、鶏肉、芹、飾り人参、柚子。
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5年前、2011年3月11日。あの日、ワタシはプロデューサーに呼び出されて電車に乗っていました。遅れていたアルバム制作に関して、なんて言い訳しようかと頭をめぐらせながら。その電車の中で地震を経験しました。電車は高架の上にいたのでめちゃくちゃ揺れました。高架から電車が落ちたら死ぬな、と覚悟しました。
ミーティングはもちろんお流れになり、その近くに住んでいた友人の家にしばらくいさせてもらい、そこで港町のなかを船が家々を壊しながら流されていくショッキングな映像を震えながら見ました。
それからは混乱の日々でした。もちろん被災地では極限状態の日々でした。
私が住んでいる街はそれほどの被害がなかったもののやはり混乱していました。近所のスーパーは入店者数制限をし、ガソリンスタンドに並ぶ車の長蛇の列で道はいつも渋滞。テレビからは福島の原発について錯綜した情報が滝のように溢れ、子供を外で遊ばせていいのか、どこの家庭でも親たちはみな判断に苦しんでいました。
そんなとき、トイレットペーパーを山のようにドラッグストアで買い込む女性を見て、ワタシは声をかけたくなりました。
「あなたがそのトイレットペーパーを全部使い切るもっと前に、とっくに物流は回復しています。そんなに買い込むと本当に必要な人の手にはいりません。あなたの家でトイレットペーパーが本当に足りなければ、うちのを分けてあげましょう。」
でも言えなかった。勇気がなかったのです。
小さな手をさしのべるには大きな勇気が必要なことを知りました。
こんなちっぽけなことしたって、何ほどの役にも立たないかも。かえって迷惑かも。
でも、今はちっぽけなことでもやるべきなんじゃないか。
小さなヘルプを気軽に差し出したり受けとったりできる風通しのよい社会は、まず自分が行動することで構築するべきじゃないか。
不安だから大量のトイレットペーパーを抱えて歩いてたあの女性に、自分ちのトイレットペーパーをはい!って笑顔で差し出すことが簡単にできるような暖かなコミュニティーを、まず自分から作ろうとするべきじゃないか。
それから一週間のうちにワタシはレコーディングを再開していました。まず「笑ってて」をチャリティー配信することにしました。それにおいては流通会社に大変な尽力をしていただきました。ここで感謝します。
そしていろんな人たちの助力を借りて隔月で「種からつなげよう」のチャリティーライブを始めました。
決めたのはこんなこと。
@避難所では歌わない。ここで、東京で歌ってお金を集めるんだ。
@そのお金は赤十字や自治体などには送らず、Hand To Handで種ともこが自分で探した募金先に直接渡す。
@チャージはできるだけ安く設定し、その分お客さんには募金をしていただくようにする。終演後種ともこは急いで着替え、出口に募金箱を持って立つ。
@趣旨をより広く分かってもらうため、ライブはUstreamで配信する。ただしアーカイブは残さない。
@「笑ってて」は必ず歌う。
会場を提供していただいたStrobe Cafeさんには本当に感謝しています。連絡係をしてくれたスタッフにも。
趣旨にご理解いただき出演してくれた対バンのアーティストの方々、同じく素晴らしい演奏でサポートしてくれたミュージシャンの方々にもお礼を言います。
そしてそして。会場に足を運び募金していただいたお客さんには本当に感謝しています。
当初、Ustream配信すると、じゃあ、タダでPCで見ればいいやと思われて客足が落ちるかも、という意見もありました。でも、実際は逆でした。ユーストで見て楽しそうだから、と会場に足を運ぶお客さんが増えたのです。震災から年月がたつほど記憶も風化し、チャリティーに興味をもたれなくなるのでは、という不安もありましたが、実際には続けるほどに動員が増え、Sold outが続くようになり、どうしても行きたいんだけど、と連絡くださるお客さんのためになんとかできないかとスタッフとお店で工夫してくれました。そしてそれにつれ、また募金額も増えていったのです。本当にありがたい思いでいっぱいでした。
2年くらい、をめどに始めた「種から」は結果的には5年間、30回ライブを重ね、この度ベストテイクを集めたアルバムをリリースすることになりました。
収録とミックスをやってくれた松本大英くんのグッジョブの輝きがあちこちに光ってます。大英くんにも深くお礼を言います。
ワタシは二月に一度、誰かと一緒にストロボのステージで歌うことを楽しみにしつつ、5年間を過ごすことができました。そのときそのときの季節に応じていろんな歌をリアレンジしたりする作業は大きな喜びでした。「おぼろ月夜」や「流星群」はこのアルバムでしか聴けないバージョンになってます。また、募金先の選定を通して、多くの方々にお手伝いをいただきました。こんなことがなければ一生行かなかったであろう大槌や石巻や相馬に友人ができました。
手を差し出すことでたくさんの助けをいただいた5年間でした。
実はライブアルバム出すのはデビュー以来30年にして初めてです。ライブは生の一期一会のものだから、そんなの残したくない。そういう思いがありました。
ですが、これは5年間の軌跡として、形にしたかった。
ていうか、種ともこがオリジナルだけじゃなく、いろんなスキな歌をスキに歌ってる、その歌いっぷりをシンプルに楽しんでいただければ、それがいちばん!と思っています。
]]>今年はホントにいろんなことがあって、いろんな発見があった年でした。ちょっとふり返ってみます。
年明けは息子の高校受験がメインテーマでした。結果オーライでしたが悩みに悩んで、何度も話し合いをしました。春からコドモたちみな新しい環境で学び初め、新鮮なスタートでした。
年明け、同時に始まったワタシの曲書きはスロースタートでした。プロデューサー菅原氏からの状況確認メールが焦りを帯びてきてから、突然アクセルペダル全開モードになった記憶があります。
こちらは仕事遅いのに,菅原氏は驚くほどのスピードで、ばしばしプリプロをを上げてきて、それを聴いてると「今回かなりいい」と手応えを感じるようになりました。それがまた曲書きのアクセルを踏む力となりました。菅原氏の素晴らしい仕事にここで再び感謝します。
レコーディングもバンドメンバーがすごくいい演奏をしてくれて、楽しくてあっという間で。創る喜びで幸せでした。このレコーディングに関わってくれた全ての方に今一度感謝します。みんなで建てた金字塔でした。
その直後のミニツアーで,生まれて初めて自分の体調不良でコンサート中止という事態になり、みなさまに御迷惑かけました。ホントにごめんなさい。
夏はリハビリでした。これが予定通り進まず、自分をコントロールするために始めたクラシックピアノの練習に、すごくはまりました。自分の技術の不足している点がクリアに見えました。先生についてレッスンを受けることを初め、ボイストレーニングも受けて、基礎の見直しをしました。
プロの野球選手がフォームの見直しをするように。更新の時期でした。
これらの成果が少しずつ上がって喜んでいた時、突然父があっけなく亡くなりました。一緒に飲む日まで決めていたのに。あれこれ済ませてすぐツアーが始まりました。
ツアーでは基礎の見直しを実戦で応用することに挑戦しつつ、各地で新譜のフィードバックをお客さんからもらって、それが元気の素となりました。どんどん気持ちのスピード感上げていく感じで各地で歌えました。
続くバンドツアーでは、ホントに日本一のバンドだと感じました。素晴らしいメンバーと共に音を紡ぐことができた。金字塔のてっぺんに星を飾ることができたと思いました。聴いてるお客さんの笑顔がその星でした。ライブに来てくださった全ての方に感謝します。そして、それを可能にしてくれたスタッフのみんなにも感謝します。
私的なことでは、弾き語りツアーが終わってすぐ四十九日でした。人は死ぬことで何かを更新するのだということを発見しました。自分が生きているという事実を大切にしなきゃ、とも思いました。
恋愛三部作は終わり、来年は30周年記念イヤーです。
今年は始まりと終わりと更新に満ちた年でした。つまり、豊かな一年でした。大切な、よき一年でした。
今年もお世話になりました。来年もめちゃよろしくお願いします。喪中なので新年のご挨拶はいたしませんが、来年もみなさまにとってよき一年でありますように。
そして、来年もワタシの歌がみなさまのココロの真ん中に届きますように。
]]>2015 TOUR FINALそしてサイトリニューアル
今年のツアーも全て終了しました。
終わると寂しいよ。
めちゃくちゃ楽しい旅でした。
一人で廻った秋も,バンドで廻った冬も、最高でした。
ワタシ達、日本一のバンドです。そう自信もって言えます。
左よりドラム芳垣安洋さん、ベース鹿島達也さん、ワタシ、ギター菅原弘明さん、キーボード葛岡みちさん。こんな素晴らしい演奏者、表現者と一緒に音を出せて幸せです。
写真はFINALの本番5分前の楽屋で。みんなの闘志がそれぞれ見えて良い写真だなあ。と思っております。
明日は30年前にワタシのファーストシングルがリリースされた日です。
それをもちましてサイトをリニューアルしました。30周年記念スペシャルページを開始しました。企画第一弾の発表がそこにあります。ぜひ見てね!
これからどんどん追加していく予定です。
来年はデビュー30周年記念イヤーです。
いろんな計画進行中です。(まだヒミツ)
ついてきてね。
]]>新しいアルバムできました。
「Love Song Remains The Same」です。
意味は、愛の歌は永遠に、みたいなことです。
恋愛三部作完結編です。
ワタシは曲目紹介とか苦手なので(だって曲について語ってもしょうがない,聴けばわかるもん)今回はパスさせていただきますが、ひとつだけ言えることがあります。
それは、全力を尽くしました。ということです。
そんなの当たり前だろ,と思われるかもしれません。その通りです。
やるべきことをやった。それだけのことですので、そんなに自慢しなくてもいいでしょうに。
そうなのですが。やるべきことをやっても、うまく行かないこともある。人生ですから。
ただ、今回は全力を尽くした結果が実を結んでいる。と言い切っちゃいます。
そういう確実な自信があります。
その結果を出すために一緒に頑張ってくれた菅原プロデューサーにまず感謝したいと思います。
今回は三部作ということで、できるだけ同じメンバリングで同じ環境で、を心がけました。
関わってくれた全ての人たちに深く感謝したいと思います。
みんながそれぞれの持ち場で全力を尽くしてくれました。だからこそ出せた結果です。
金字塔です。
みなさまのお耳に届くまであと少しです。
どうか、たくさんの方に聴いていただけますように。
コース料理の調理が全部終わって厨房を眺めるシェフのような気持ちで今これを書いています。
一品一品心をこめて、全力で作りましたよ。
そしてツアーもやります。
詳細はここを見てくださいね。
]]>この前は来れなかったんだけど、という方にも、もちろんおごります。
おごり目当てに来るも全くよし!
たくさんの方におごりたい!と願っております。
詳しくはこちら!
https://www.facebook.com/tomokotane.official/posts/888413614540569?fref=nf&pnref=story
素敵な夏の始まりに、とご用意していた夏の関西プチツアーですが、ワタシの体調不良によって全て中止となってしまいました。
本当にごめんなさい!
楽しみにしていたお客様には深くお詫び申し上げます。
特にチキンジョージでは台風のなか足を運んでくださったのに、本当にごめんなさい。
それから、会場のスタッフの方々、関係者のみなさま、共演者のみなさま、多くの人に御迷惑をおかけしました。今もかけ続けております。重ねてお詫びを申し上げます。
野外コンサートが雨で中止とかは経験ありましたが、自分の体調が理由で公演をキャンセルしてしまうのは初めてで、自分でも悲しくてなりません。
そんなことあってたまるもんか!このワタシに限って!
と思っておりました。
でも実際に起こってしまいました。
一刻も早く治して、早くみんなの前で歌いたい。
今はこれ以外のことは頭の中にありません。
だって、そのために生まれてきたんだもん。
どうか少しだけお時間ください。
プチツアーも、必ずやりに戻ってきます。
詳細は以下で分かり次第どんどんお知らせします。
http://www.tomokotane.com/info/
今一度ゴメンね言わせてください。そして、待っててね。
]]>「家のピアノ」
ライブ会場に行けないんだけど、のお声をいただき、一般流通開始することになりました。特典付きのお店もあります。詳しくは以下から。
ピアノ弾きながら歌っています。
私のお家に来ていただくつもりで聴いていただけたら、です。
よろしくね。
]]>今年もどうか、よろしくお願いします。
唐突なお雑煮のアップ、失礼します。
一椀のお雑煮もココロをこめて作ると必ず魔法が生まれる。
そんな気がします。
だから、精いっぱい集中して作ります。
丁寧にお出汁をひいて。
芹と飾り切りした人参と柚子の皮。きちんと作ると色合いも美しくなる気がします。
(来年は京人参で作ろうっと)
計算してお出汁を作っても、最後の最後でお餅を入れるとまた味が変わります。
その変化の具合も毎年違って驚くのです。
毎年、そんな驚きを持てる幸せに深く感謝しつつ。あと何回そんな幸せを持てるんだろうと想いを巡らせつつ。
そんなふうに、吟味して、怠らず、でもハプニングも楽しみつつ、まっすぐに前を向いて、今年も音楽を創っていきたいです。
どうか今年もあなたのココロにワタシの歌が届きますように。
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