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1000年に1回の3年め
 

震災から二年たちました。

おととい、12回目のチャリティーライブでした。

賛同して集まってくれたみなさん、企画してくれているスタッフに、改めて感謝します。

(上の写真は曲が終わってガッツポーズしてるワタシ)


二年は長かった。特に二年目が長かった。

風化する、減速する、いつの間にかなし崩しになっていく、いろんなものがありました。


ワタシは、震災の直後から、地震のこと、津波のこと、各所で立ち上がるボランティア組織、原発についての説明、ネットでいろんなこと調べて、気になったURLを手当たり次第に保存して「復興」というファイルに放り込んでました。膨大な量になりました。


昨夜のライブの前に、それらを見直してみようとしました。

驚いたことに半数近くのURLがもう消滅、アップデートされないまま放置、別ものに変わってる、などしていました。


助成金が下りなくなったから、ボランティア組織はどんどん減っているそうです。幸いなことに、ワタシの活動はハナから助成金なんて期待できる規模じゃなかったから、だから続けてこれたのかもしれません。

これからも、細々ではありますが、長く続けたいなあとしみじみ思いました。


地震大国ニッポンに生まれたんだもの。忘れないでいたい。


地震だけじゃなくて他にもっと怖いものがあることを,実は今回の震災は教えてくれたのかもしれません。


まず、あいまいに物事を信じていた自分自身のいい加減さが怖くなりました。反省しました。

政府がなんとかするだろう、とか、原発はクリーン・エネルギーだとか、自分は何を根拠にそう信じていたんだろう。


地元住民とのさまざまな会議に臨む官僚の方々の仰ることを聞いて、怖くなりました。この人達は想像力がなさすぎるのではないか。不安で苦しんでいる彼らを前にしてなぜ、現実感の乏しい、こんな切って貼ったような発言しかできないのだろう。有能で優秀な、だからこそ国家を仕切っている人達じゃなかったの?と悲しくなった時もありました。(誠実にお話される方ももちろんいらっしゃいます)


それから原発にまつわるいろんなウソが明るみに出るたびに、驚き、怖くなりました。だんだん、あーやっぱり、またかと思うようになって、その慣れにも怖くなりました。


自分が責任とれないものにはYESと言っちゃいけないな。福島の第一原発を廃炉にするのに40年かかるとしましょう。ワタシもう生きてないです。責任とりたくてもとれない。


3年目。1000年に一回から3年。被害を受け、大切なものをなくした人たちの心が少しでも癒されますように。ワタシの心が少しでもつながってゆけますように。


下はライブ終了の瞬間。共演の菅原弘明さんと感謝の握手!



こちらは片付け後。対バンのゲントウキのみんなもいっしょに。


| LIVE | 09:36 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
震災から2年が経ち完全に元通りになるには、
長い年月を要すると思います。微力ながら
被災地に思いを寄せています。他人事ではないと…福島原発の建物も壊れたまま、津波で流された大きな船を映像でしか見たことないですが
悲しくなります。音楽を通して活動している
種さん!これからも応援しています!
| 北の国から | 2013/03/16 12:52 PM |
多くのURLが消滅する中、これまでに12回ものチャリティーライブを行い、3年目もアクティブに続けてくださる種さんに感謝いたします。
早く一本桜も賑わいますよう。
| otogiku | 2013/03/13 6:28 PM |
はじめまして
私はデビュー当時からのファンの者です。
去年、何年ぶりかにライブを見させていただき、
ライブ後、初めて握手をさせていただきました。
憧れの女性でしたので緊張しすぎてしまい本当は言いたかった事(お願い事)を今回のブログを見て改めて思いまして、コメントとして書かせてもらいます。

去年のライブツアーの中で福島県の相馬があったはずでが、福島の人達に種さんの歌を思いを届けられた事と思います。
今から書くのは、その福島県で震災後1ヶ月位してからの出来事です。長文をお許し下さい。

私は写真が趣味で毎年、桜を撮りに東北に行くのですが、その年、東北のあちらこちらの道は高速も含め、地割れや側面が崩れている所がいたるところにあり、家も崩れたままの所もありました。また、ある撮影場所では自衛隊のヘリが頻繁に飛び交い、盛岡の町では迷彩服を着た自衛隊の隊員たちが歩いている状態・・・。私もこの目で見て、写真で記録したかったのですが『ここは被災地じゃない。これは戦場だ。生半可な気持ちで行くもんじゃない。』と思い、沿岸部に行くのを止めました。

被災地にも行かず遊んでという意見もあるのは承知の上で、私は撮影に行きました。その年は風評被害で苦しんでいる地域を中心にまわりました。行く先々で私の車のナンバーを見ただけで地元の人から大歓迎され、かえって『本当に来て良かったんだろうか』とも思ったりし本当に内心複雑でした。

東北もほぼ撮影し終わり、名古屋に帰る途中に福島県にある遅咲きの一本桜が満開の情報を得て立ち寄りました。
いつも大勢のカメラマンで賑わう所なので、さすがに何人かいるだろうと思っていたのですが、現地に着いたら私一人だけ・・・。そこは原発の避難地域ではなかったのですが、誰もいない・・・。桜がキレイに咲いているのに満開なのに・・・。人の気配が感じられない。何か私一人だけしかいないような世界に感じて悲しくなりました。

その年は私が休みを取れた時期には福島の桜は終わっていてその一本だけ撮影できたのですが、近くに私の大好きな一本桜があるので、もう散っているけど、ちょっと立ち寄るかと思い行ってみました。行ってみると、もう葉桜に近い状態だったのですが、たまたま見ていたら農家の人に声を掛けられました。『お兄さん、桜散ってしまったけど、また来てくれよ。原発事故で地元の人以外、ほとんど来てくれないんだ。また来てな』って言われたんです。『来ます。必ず来ます』としか言えませんでした。

もう帰りの高速は車を運転しながら自然と泣いていました。
福島県で前年、庭先で撮影させてくれた家の小学一年生ぐらいの女の子とお爺さんは、どうしてるんだろうかとか、撮影していて出会った地元の人たちの事が次々と思い出されて悲しいやら悔しいやら言葉に出来ない・・・。桜の撮影に行って、あんな思いしたのは始めてでした。

長文済みませんでした。私は国語力無いから上手く短く書けませんし、思いを上手く書けません。私が言えなかった事。

『種さん、桜の歌一曲だけ歌ってくれませんか。』です。

| 名古屋在住人 | 2013/03/12 11:55 PM |
人間いつこの世をおさらばするかはわからないとはいえ、多くの場合人はそれなりに長く生きていきますから、「太く短く」よりは「細く長く」でいいと思います。

種さんがこのような活動をしてくださるおかげで、大震災で困っている人たちに対し、ぼくらも何かができるわけですし。

原発に関して言えば、「災害に対したとえ万全の字対策ができたとしても、そのゴミを処理する方法も場所もないまま稼働するのは異常以外の何物でもない」というのがぼくの姿勢です。

毎度書いてますが、種さんとずっと歩いていきたいです。

これからもよろしくお願いします。
| yaliusat | 2013/03/12 1:00 PM |
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